夫を買いかぶりすぎたか
▼前回
「廓然無聖(かくねんむしょう)」はあんまり目にする言葉じゃないですが、夏目漱石とか泉鏡花とか、そのへんの時代の小説でたま〜に出てきます。
「廓然」は「心が広くて、台風一過の晴れ渡った空のようにわだかまりのないさま」という意味の言葉で、廓然と書いてカラリ、と読ませている作家もいて、なかなか良い言葉です。続く「無聖」は、その広い世界から見ると、人に聖人凡人の区別もないということ。
もとは中国の梁武帝と中国禅宗の開祖・達磨大師の問答のなかで、「仏教の大切な真理とは何か?」という武帝の問いかけに、 達磨が「廓然無聖」と答えたというエピソードが由来の大層な言葉なのですが、わたしにとっては夫を連想する言葉でした。
もちろん夫もまだまだ成長途中の人間で、家にいるときはただの食い意地の張ったおならオブジェだし、心の内では葛藤や腹立つこと、悔しいこともあるでしょうが、傍から見るぶんには誰のことも悪く言わずカラリとしている個性と姿勢は夫の両親からもらった大切な宝物なんじゃないかなと思います。
まぁ、「お肉はどこ!」と台所に飛び込んでいった姿を見ると食べること以外考えてない説のほうが濃厚です。
一方のわたしは熟語辞典を読んで何をしていたかというと、ここぞと言うときに難しい四字熟語を言いながらかっこつけて登場してみたいので予習しています。全然カラリとしていません。
随波逐流→自分の意見がなく流される人間 容貌魁偉→体がでかい
夫とは似たもの同士と思うこともあれば、全っ然違うな、ということもあって、良いこともそうじゃないことも夫から学ぶことが多々あるし、夫を通した自分を省みて「ここはこうするべきだった」、「夫といえど他人に対して言葉が過ぎた」などと反省することもしょっちゅうあります。
逆に夫はわたしから「健康茶の豆知識」「明日使える四字熟語」以外に何か得ているのかどうかはわかりませんが、これからも夫婦として、そして個々の人間として成長していきたいです。
ということで夫を褒めちぎっていますが、実は夫がわたしの大好物の佐藤水産の「ひとくちさけっち」を出張土産に買ってきてくれたので、いま心が夫への愛にあふれているのです。
燻製チーズも入っていてうまい 。後味がとても鮭
ひとくちさけっち最高! 夫最高!!!!
ただしこの夫礼賛は、結婚式当日に起こった事件への伏線なのでもあった。
(次回から結婚式当日の思い出を書きます)
そして今日も台所と冷蔵庫の巡回に励む夫。